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升田幸三 の記事にはこうあります。

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  • 1949年の第2回全日本選手権戦(後の九段戦、十段戦、竜王戦)の対局前夜の食事会で名人の木村義雄と口論となり、「ゴミハエ問答」と呼ばれる著名なやり取りをしている。食通の木村が豆腐を食べながら「やっぱり豆腐は木綿ごしに限るよ」と木綿豆腐の良さについて薀蓄を垂れ始めたところ、絹ごし豆腐を好む升田はこれが気に触り、「えらそうなことばかり言うとるが、将棋は名人でも、その道の専門家から見りゃ、木村名人の知識なんかゴミみたいなもんだ」と噛み付いた。木村が「なにい?ゴミだって?名人がゴミなら君はなんだ」と問うと、升田は「さあね。ゴミにたかる蝿ですか」と一言。升田の軽妙なやり取りに食事会は笑いに包まれたが、機嫌を損ねた木村は「君も、えらそうなことばかり言ってないで一度ぐらい、名人挑戦者になったらどうだね」と言い残して席を立ってしまった[9]。翌日の対局は因縁の対決となり、200手を超える泥仕合の末に升田が勝利した。なお、ゴミハエ問答は、升田が対局後に木村の棋力を馬鹿にして発言したものであるという誇張されたエピソードが記載されている書籍もある[10]
  • 塚田正夫とは仲がよく、一緒に酒を飲むことが多かった。あるとき升田が「俺は太陽で、あんたは月だ」と言うと、普段は無口な塚田も頭にきて「何で俺が月だ」と反論し、太陽だ、月だ、と言いあったことがあった。[要出典]
  • 晩年には「もう一度生まれてきたら、天野宗歩のように3歳くらいで将棋を覚えて、名人に角を引きたい(ハンデとして自陣の角なしで戦いたい)」と語ったことがある。